わっか引っ張りネタを書いてみたかった。後悔はしていない。そんだけ。




 くいっ。
 背中が引っ張られた。
「…………」
 くいくいっ。
 もういっちょ引っ張られた。 
「あの……義姉さん…」
「んー?」
 くいくいっ、くいっ。
 今度はリズミカルに引っ張られた。
「それ引っ張るの、そろそろやめて……」
「やーよー」
「義姉さん…」
 さっきから何度か抗議の声を上げたが、義姉のイタズラは止まる様子を見せない。
 ケープを外してくれば良かったと、ティーネは今更ながらに後悔した。
 そんな、シュバルツバルト共和国国立図書館の一風景。

 ティーネはセージである。セージとはシュバルツバルト共和国における魔術師の称号だ。
  ただし、ルーンミッドガッツ王国のゲフェンタワーで認定されるウィザードとは同じ魔
術師でありながら傾向が異なる。ウィザードが魔術の研究と実践に重きを置いているのに
対し、セージは知識の貯蓄と知恵の構築に比重を置く。それ故、セージの称号に相応しい
ものは賢者とも呼ばれている。
 セージと称されるには、シュバルツバルト共和国の大学で指定の一定の評価を得ること
が必要だ。セージとして認められると、その称号と名誉をシュバルツバルト共和国から贈
与される。その際、正装として一着のケープと装飾が贈られる習わしがある。
 この慣習自体は珍しいことではない。先ほど挙げたウィザードや、プリーストなどの聖
職者なども、一人前になったと認められると共に服飾が贈られる。ウィザードはマント、
プリーストは位に応じた法衣である。
 セージは男女で贈られるものが異なり、魔力で着用者の付近を浮遊するリングは共通で
あるものの、男性セージにはマントを、女性セージにはケープが贈られる。
 さてこの女性セージに贈られるケープなのだが、少々問題がある。着衣としての問題で
はないのだが、考えようによってはそれ以上に大変な問題かもしれない。
 このケープ、ただのケープとは違い、中から二枚の布が垂れ下がり、その先端には円盤
が装飾されている。微弱な魔力を受けて浮遊しているので、この円盤が邪魔となることは
ないのだが、この円盤こそが、女性セージに贈られるケープの問題点でもあった。
 くいくいっくいっくいくいっくいっ、ぐいっ!
「わわっ! ……わ、わっ!」
 がっしゃん!
「あたたたたた……」
 義姉にケープを引っ張られ、盛大な音と共に椅子から転げ落ちて、体を床に打ち付けて
しまった。まばらにいる他の利用者の視線が痛い。
「あらあら……。ティーネだいじょぶ?」
「それなら引っ張らないで!」
 打った部分をさすりながら立ち上がるが、ティーネを転ばせた張本人はけろりとした表
情で声を掛けてきた。正直、義姉のこういうところは好きではない。
 しかし、ティーネが一緒に倒れた椅子を立てて座り直すと、その頃には転んだ時の痛み
がすっかり無くなっていた。転んだ直後にでもヒールを掛けてくれたのだろう。義姉のこ
ういうところは嫌いではないが、そういう配慮ができるのなら最初から自分の抗議を聞い
て欲しい、とも思うのであった。
 なぜかは判らないのだが、女性セージのケープに付属する円盤はとにかく他人からオモ
チャにされやすい。今し方すっ転ばされたティーネのようにぐいぐいと引っ張られたり、
ぶんぶん振り回されたり、ろくな扱いをされない。
 そんななので、ティーネはこのケープの着用に多少の抵抗がある。しかし、このケープ
が肩のリングと共にセージの正装とされているので、あまりおおっぴらに外す気になれな
いのが実情だ。着用が義務というわけではないので嫌ならば外しておいて構わないのだが、
ティーネの性格上、正装とされるケープを邪険にできないらしい。
 ジュノーへ足を運ぶ用事が出来たので、プリーストである義姉のラミリアにワープポー
タルで転送して欲しいと依頼したのだが、ヒマだったらしいラミリアがジュノーまで付い
てきてしまったのだ。その結果が、コレである。調べものををしている横からケープを引っ
張られていては、とても集中できるモノではない。
 わざわざジュノーの国立図書館にまで調べものに来ているのに邪魔されるのでは、多少
のお金を払ってでもカプラサービスの転送サービスを使用した方がよかったかもしれない。
最近はリヒタルゼンのジョンダイベントと競合するようになったためか、以前に比べてサ
ービスの内容も充実してきている。
「それにしてもさぁ」
「?」
「なんでわざわざジュノーの図書館まで来たのよ? ルーンミッドガッツにだって結構な
蔵書があると思うけど。プロンテラとか、ゲフェンとかさ。もしかして、プロフェッサー
でも目指してるとか?」
 プロフェッサー。ジュノーの賢者と呼ばれるセージ達の、更に一握りの者達にだけ与え
られる名誉ある称号のことだ。その名を与えられるには、セージの称号を得た後でも更な
る知識と知恵を探求し、そしてそれら全ての実践において、優秀な結果を積み上げる必要
がある。そのハードルは並大抵のものではなく、挫折してゆくセージも多いと聞く。
 シュバルツバルド国立図書館に秘蔵してある知識を取り入れることも、プロフェッサー
へと続く道になる。
 ラミリアの問いに、首を振るティーネ。精進を忘れるつもりはないが、今はまだそこま
で考えてはいない。
「そうじゃなくって。ちょっとした調べものなの。義姉さんも知ってるでしょ? モロク
で子供の誘拐事件が頻発しているって話」
「あー…アレね。私達にもギルドを通じてなんかの依頼来てたわ、そう言えば。完璧に忘
れてた」
 ラミリアの言った"私達"とはプロンテラ教会に属する聖職者達のことだ。教会詰めの聖
職者や、冒険者となった聖職者にも等しく依頼が来ていた。
「普段は私らのこと、破戒だ何だって五月蠅いクセに、こういう話はのうのうと持ってく
るのよねぇ、お偉いさんは。まったく私らをなんだと…」
「ちょ、ちょっと、他の資料取ってくるね」
 ラミリアの愚痴り出しそうな空気を察してか、ティーネが席を立つ。また転ぶことのな
いよう、ラミリアがリングを掴んでいないかを確かめた上で、だ。
 今回の事件で魔術師ギルドに属するセージ達に出された依頼は、砂漠の都市モロクの歴
史の洗い直し。中でも、魔剣士と呼ばれた伝説上の人物、タナトスが封印したという魔王
モロクに関してのことだ。なぜ、子供達の誘拐と魔王モロクが繋がるのかは不明だが、そ
の点に関しては機密事項の一言で押し通されてしまった。どうやら、レイヤン・ムーアと
いう人物が関わっているようだが、それ以上は闇の中だ。
 余談として、セージはシュバルツバルト共和国から与えられる称号ではあるが、ルーン
ミッドガッツ王国の魔術師ギルドに登録することが可能でその逆もまた然り。これは同じ
魔術を使役する者としての知恵や技術の共有のためだ。ただし、ウィザードとセージの仲
はどちらかというと悪い。もちろん個人レベルの交流においてはそうと限らないが、これ
は魔法という現象に対するスタンスの違いから来るものだろう。
 閑話休題。
 ティーネはセージであるが、主な活動をルーンミッドガッツで行っている。なのでシュ
バルツバルト共和国、ひいては首都ジュノーを訪ねる機会はそうそう多くない。ジュノー
を訪ねるのは、今回のように何かしら特別な理由がある場合が殆どだ。
 ずらりと並んだシュバルツバルト共和国国立図書館の蔵書から、ルーンミッドガッツや
シュバルツバルトの伝説に関わる本を何冊か選び出し、席に戻る。魔王モロクに関わりが
ありそうな伝説を虱潰しに当たっていくつもりなのだ。
 ティーネは現在、義姉であるラミリアの他に数名の知人の世話になっているのだが、そ
の中の一人に歴史探究を趣味にする人間がいる。朱に交われば赤くなるとはよく言ったも
ので、彼に影響を受けてティーネ自身も歴史を紐解くことに愉しみを見出すようになって
いる。
 そういった背景があるため、今回の依頼は彼女にとって、いわば趣味と実益を兼ねるも
のなのだ。
「ところでさ、ティーネ?」
 席に戻ると横から義姉の声。開こうとした本をそのままにして振り向くティーネ。
「なんか遅くなるようなら、そこらのホテルの部屋取っておこうと思うんだ。どこか希望
 ある?」
「え、そこまでして貰わなくても、義姉さんは先に帰ってたっていいんだよ?」
「かわいい義妹を一人で置いていくほど薄情なつもりはないわよん。ほれほれ、さっさと
 希望をいいなさい」
「……うん、ありがとう」
 ティーネからの希望はたいしたものでなく、国立図書館の近場ならば何処でもいい、と
いうものだった。「それだけ?」と何故か軽く不満そうな表情をしながら図書館を出て行
くラミリアを見送ると、ティーネは再び持ちだした書物に目を落とし、メモ用の紙とペン
を手に取った。
「あれ?」
 さっきまでティーネがメモに使っていた紙に、彼女以外の筆跡が混じっている。考える
までもなくそれはラミリアの筆跡で、簡単なメッセージが書かれていた。
『さっきはゴメン。それと、無理はしないように。なんかあったら私を頼ること』f
「義姉さんてば」
 くすりと笑みを浮かべるティーネ。しかし直ぐに机へと向き直り、
「よし、ぱっぱと調べてレポートにまとめないとね」
"あまり遅くなったら義姉さんが怒鳴り込んできそうだし"
 そんなことを考えて、クスリと笑うティーネだった。

 後日、砂漠の街モロクの中央に座する城で、一つの事件が勃発した。モロクの街全体に
アンデッドモンスターを蔓延らせたその事件は、警備兵やモロクに滞在していた冒険者、
丁度アサシンギルドから派遣されていたアサシン達の手によって鎮圧された。
 その事件が収束した後、モロクの子供誘拐事件に関する依頼は全てがキャンセルされる。
そのタイミングがタイミングなので、この事件と誘拐事件に何らかの繋がりがあったので
はないかという噂が広がった。しかし事件に関する公式の発表はなく、元々事件事故の珍
しくないモロク住民の関心は時間が経つに従って離れ、事件そのものが忘れ去られていっ
た。
 ティーネのようなセージや、その他、ギルドからの依頼を受けて活動していた者達の成
果が実を結んだのかどうかは、誰も知らない。