2005年10月分の書き込み

では、もう一枚・・・ ヲアニー 10/31

SDTMさん
最近出張が多いようで・・・大変ですね。お体を大切に。

D爺亀苦楽部「大山」を今日もUPしました。D爺亀苦楽部に掲載予定以外のを載せます。奥大山から望む大山南壁です。
まだ紅葉の季節は続きますので、大山の他の場所にも休日を利用して撮影に行くつもりです。


おぉ!凄い紅葉! SDTM 10/30

☆ 色の怒涛を感じますね。

さて、、、

福岡へ出張してきましたので、、成果をちょっと、、

記事は↓
http://blog.goo.ne.jp/sdtm/e/eacf03341757bfb839c7f963f98848b7


紅葉の季節 ヲアニー 10/30

昆虫も余り見かけなくなりましたね。
今日は午前中用事を済ませて、その足で大山に行ってみました。まだ完全な紅葉とはいきませんが、結構色づいています。たくさんの観光客で賑わっていました。
D爺亀苦楽部の「大山」にも順次掲載していきます。


ぽせいどん 10/30

今、プリント中。
A3、30枚を高精細で印刷するとかなり時間がかかります。
あと10枚なのだがまだ1時間以上は充分かかる。
少々腹もすいてきた。


たしかに ぽせいどん 10/29

蝶も蜻蛉も少なくなりました。
よく探せばまだいろいろいるのですが...

蝿やゴキブリなどはちょっとどうかと思うので撮ってません。


昆虫も・・・ ヲアニー 10/27

もう終わりでしょうか。
このところ昆虫を撮る時間がなく、しばらく出かけていません。
←は、今月2日に撮ったイトトンボです。来年こそ、ドンぴしゃにピントが合うようD爺亀苦楽部で練習します。

紅葉の季節が間近です。今から楽しみです。


創11月号 ヲアニー 10/24

ムサシさんも読まれたのですね。情報提供ありがとうございました。おかげさまで、デビルを演じていた高田宗彦氏のお人柄が少しはわかったような気がします。もっと他の役でも出演してほしかったですね。

D爺亀苦楽部にも掲載していますが、東洋一の高さを誇る日御碕灯台です。


赤城山 大沼にて SDTM 10/23

☆ 先週16日に出掛けた赤城山の大沼での紅葉?です。

  記事はこちらです。↓

http://blog.goo.ne.jp/sdtm/e/b6928bd16f7eb7b118f9b5fefa9c4781


高田宗彦氏について ムサシ 10/20

ヲユキさん ヲアニーさん ぽせいどんさん 参加がおくれて失礼しました。多忙多忙で。創11月号よかったですね。高田氏の誠実な人柄が偲ばれて、いい人だったんですね。


ブラックデビルの高田宗彦氏 ヲアニー 10/19

ぽせいどんさん
ニュースで地震を知りましたが、被害がなくて安心しました。

ヲユキがブラックデビルのことを書いているので、再度その話題を。
「創」11月号のことは先日書きましたが、その中に、高田宗彦氏が娘・松本留美(3歳のころか?)を抱いて、海水浴をしている写真が載っていた。
ブラックデビルの面影もあるが、とても幸せそうで、子煩悩なお父さんの顔で写っていました。


20時44分頃の地震 ぽせいどん 10/19

当地では僅かに揺れただけで何の被害もありませんでした。


ヲユキ 10/18

今日は実家に持ち帰った数十年前に購入した本などを読み返しておりました。
「21世紀ブックス 60年代のカタログ」小野耕世/編 昭和50年12月15日初版発行(主婦と生活社)
「ぼくらのヒーローが帰ってきた」上之二郎 昭和51年9月27日発行(日本文芸社)
「GomaPocket 昭和30年代のTVガイド」週間TVガイド編集部 昭和58年12月5日初版第一刷発行(ごま書房)
「素晴らしきTVヒーローたち」GAKKEN MOOK 昭和61年5月31日(学習研究社)
「生きているヒーローたち 東映TVの30年」1989年12月16日代1刷発行(講談社)
・・・等々、読み返していくつかの事がわかりました。
「素晴らしきTVヒーローたち」、これは1958年の「月光仮面」から1985年の「スケバン刑事」までのテレビヒーローたちを紹介したムックですが、その中に「少年ジェット」の「ブラックデビル」についての記述がありました。
『ジェットやシェーンの人気は大変なものだったが、その分、悪役たちの憎まれ方もすごかったのである。怪盗ブラック・デビルをはじめ、ほとんどの悪役を演じた高田宗彦など、うかつに外出などしようものなら、少年ジェット予備軍の小、中学生に何をされるかわからない、というくらいの嫌われ方だった。実際、銭湯で子供にお湯をかけられたりすることもしばしばだったという。』
また、「YYジョッキー(昭和45年・徳間書店)」のジェット特集では『怪盗ジェームスや荷蛭妖造、ブラック・デビルといった適役をずっとやっていた高田宗彦さん(この人はヨーロッパ系の二世だそうで、〃ジェット〃といえず〃ゼット〃と発音していた)は、家族で近所の銭湯へ行くと、「あっ、ブラック・デビルがきた!」と、子どもたちにお湯をかけられたとか。悪役は、本当につらいなぁ。』と、記されていました。
私の高田宗彦さんの銭湯でのエピソードの記憶はこの記事によるものだったようです。
また、「創」のインタビューで松本留美さんはふれていらっしゃいませんが、検索をしてそのことでご家族も色々と苦労されたと言うログも眼にしました。
確かに当時は子どもだけでは無く、大人でも役者さんをテレビの役柄そのままの人と思うことが多かったようですね。
「七人の刑事」とか「特別機動捜査隊」などの刑事役の人たち、最近では片平なぎさ(字は?)さんも、役そのままに思われたと言う記事を何かで読んだ様な気が・・って、またこれも調べないといけなくなったかナ(^_^;)。
高田宗彦さんもそのようなご苦労はあったでしょうが、子どもたちに憎まれれば憎まれるほどご自分の演技に自信を持たれ、更に演技を工夫されていったのでしょう。
それが、当時テレビをご覧になっていた本橋信宏氏の心に残り取材されるまでになった結果だと思います。
・・って、当時「少年ジェット」を観ていたのに姿も名前も覚えていない私の言葉では説得力があるとは言えませんね(^_^;)。

何時か海苔海苔さんがおっしゃっていたテレビで放映されていた「キャノン・ボール」についてもわかりました。
「60年代のカタログ」にその一場面と思える写真とともに『長距離トラック便の運転手が主人公』とあるだけで、残念ながら俳優のお名前などは記されていませんでした。
1959年に6チャンネル(キー局?)で放映されたようです。


訂正致します ヲユキ 10/18

すみません。
本の内容を紹介したアドレスを記したつもりでしたが、ちがうアドレスになっていました。

http://www.kobunsha.com/kinen/shounenbox/
こちらでBOXの詳しい内容がわかります。


ヲユキ 10/18

サムソンさん、お久しぶりです。
いや〜・・サムソンさんも購入されたのですか(お友達^^)。
ちなみに私はVOL.1を帰ってから読んでいますと数ページに渡って紙面に皺があり(それ程気になるものではありませんでしたが)、次の日にもう一冊購入したりしてしまいました(^_^;)。
以前は気に入った本などがあると2〜3冊(自由に読む本用、保存用、絶版となってほしくても入手出来ない人に譲る為用)購入していた事もありますが、それは余裕のあったときのことで最近は購入したい本やDVDなども極力購入するのを控えじっと我慢する耐乏生活(死語?)を続ける日々です。
「鉄人28号」のスペシャルBOXは正直予約しようと思いました。
当時の、「少年」の復刻版「鉄人28号」別冊付録2冊が魅力ですからね。
でも私はそれよりももっと惹かれるアイテムを検索している時に見つけました。
DVDは何時か中古で安く入手出来る可能性もありますが、こちらは完売直後からプレミア必至と思えます。
『少年 5000部限定!シリアルナンバー刻印 認定カード付き 別冊ふろく8冊、懐かしい組み立てふろく(オルゴールレコード)、ほか13大ふろくも完全復刻 』
http://www.fukkan.com/sell/index.php3?mode=detail&i_no=45759233
私はネットで予約出来ませんので、数日前近くの書店で注文致しましたが、注文したひにちが微妙でこれも入荷されるかどうかわからないと言われ、現在返答待ちの状態です。
残念ですが今からネットで予約しても殆ど入手不可能と思えます。

ん?・・どこかからヨ○レを啜る音が・・・ヤヤ!○○○○んさん・・貴方もか!・・って、またまた硬派な・・って、これでは折角伏せ字にしても何方の事を言っているかわかってしまいますネ(^_^;)。


サムソン 10/18

今晩は。定期的に投稿させて頂こうと思っているのですがなかなか思うようにいきません。セブンイレブンの「宇宙戦艦ヤマト」や「あの素晴らしい愛をもう一度 」など、お話に参加したいところでした。
ヲユキさんや懐古人さんの書き込み、ぽせいどんさん、SDTMさん、ヲアニーさん、皆さんの写真・書き込み・・いつも興味深く読み、また楽しく拝見しております。
ぽせいどんさん、安価で購入したデジカメは所有してますが、必要に迫られての記録ばかりで私にとって投稿までは遠い道のりの様です。しばらく皆様のを楽しませていただくつもりです。
ヲユキさん、お礼が大変遅れてしまいました。幾つもの貴重な情報有り難うございます。「特撮ヒーローBESTマガジン」も購入。「VOL.2」には七色仮面の記事やアウターリミッツ(私はウルトラゾーンのタイトルで覚えてます)の写真などで懐かしい記憶がよみがえりました。裏表紙には「鉄人」のスペシャルBOXの案内などもありましたね。
ところでこれまたヲユキさんの投稿により、遅れ馳せながらホームドラマチャンネルで木下作品が放映されていることを知りました。4月から放映だったのですね。予定が遅れているらしく今月は「おやじ太鼓」と「あしたからの恋」を放映中です。「3人家族」や「二人の世界」「たんとんとん」なども予定されているようです。
木下恵介アワーには「人間の歌シリーズ」というのがありましたね。残念ながらこれらの放送は今回は無いようです。(以前にも書いた気がしますが)「冬の旅」「冬の雲」「冬の華」「それぞれの秋」など、もう一度是非見たいものです。


ゲッターポセイドン、モデリングはじめました。 ぽせいどん 10/16

例によってコミック本を見ながらのモデリングです。
しかし出場シーンが極端に少ないのです。
メインはドラゴンですから仕方がありませんが...。
ハンドルネームと一緒の名称なので力を入れたいところですが
少々つらいですね。


ヲユキ 10/15

訂正致します。
「少年ジェット」の本名は「北村 健(たけし)」でしたネ。
「荒川課長」や「船越探偵」が「たけし君」と呼んでいたのを思い出しました。
ビートたけしさんの本名は北野 武さんですね(検索でわかりました)。

その他に検索していると以前話題になった或る番組の主題歌のMIDI(音楽)、放映当時の番組の主題歌のテープ録音した音源をアップされたサイトが有りました。
テレビの音源はマイクで録音されたものらしく周りの音も聞こえたりしています。

私もヲアニーさんから譲られたカセットテープレコーダーでテレビ、ラヂオの番組主題歌、ドラマなどよく録音しました。
その頃は全てマイクで録っていましたのでうまく録音できたと思っても、テープを聴くと必ず何らかの周りの音が入っていました。
録音する前は父や母に暫くじっとしているように頼むのですがどうしたわけか必ずと言っていいほど家の前を走る車の音、母の台所で食器を洗う水道と食器の音、父の咳払い、新聞を広げる音・・・何度録音し直しても必ず何かの音が入っていましたね。
夜中の静かな時に録音しても必ず入っていたのは、私がマイクを持つ手を僅かながら動かしたときの音だったりもしました。
当時はそれらの音は雑音としか思えなかったのですが、年月を経た今ではかえって当時の私たちが暮らしていた生活の断片と言えるものかもしれません。
少なくとも私が中学〜高校生の頃に録音したテープもまだ残している筈なので何時かカセットレコーダーを購入して(一年ほど前に何年かぶりに聴こうと思って電源を入れたときに全く作動しなくなっていましたので)あらためて聴いてみたくなりました。


ブラックデビル ヲアニー 10/15

ムサシさんから紹介のあった「創」11月号を、ヲユキに借りて見せてもらいました。
記憶のとおり、片方だけ色つきグラスをかけたブラックデビルの写真が掲載してありました。
その中に書いてある「少年たちは小枝をステッキに見立ててブラックデビルのまねをした」のくだりは、まさにそのとおりである。あのステッキが欲しくて欲しくてたまらなかった。
高田宗彦氏の母親は日本人だが、父親はスコットランド人だったと書いてありました。ブラックデビルは日本人離れした顔立ちだと子ども心に思っていたのですが、それで納得しました。
昭和30年代の街頭には、少年ジェットの登場人物たちを真似する子どもたちが日常の光景としてあったとの記述を読んで、そういえば私が学生時代に東京でアルバイトをしていたときに、そのバイト先の近所の子どもたちがウルトラマン(仮面ライダーだったかも・・・)の真似をして遊んでいる光景を見たのを思い出した。
現代のヒーローはだれだろう?。今は、ヒーローの真似をして遊ぶ光景を近所で見ない。


ゲッターライガー ぽせいどん 10/15

なんとか完成。

次はゲッターポセイドンかぁ...。


少年ジェット ぽせいどん 10/15

ミラクルボイスは
漫画版だとただ大きな声を出すだけでした。
「うー やぁー たっぁーー」はTV化されてからです。


少年ジェット ヲユキ 10/14

私も「頓田紋太」の風貌と行動はよく覚えていました。
ビデオで「少年ジェット」を改めて見て、一番懐かしかったのは何よりももっとも記憶に残っている「頓田紋太」のお馬鹿さんぶりだったと言えます。
「ブラックデビル」に関してはヲアニーさんとぽせいどんさんがおっしゃっている通りでした。
そのほかの印象的な場面では、「ターザン」の様に綱につかまり木々へ飛び移ったり(スタントマン?、フィルムを繋いで連続して飛び移っている様に見えます)、鉄塔に掴まり滑り降りたり飛び移ったり(これはスタントマンではなく高田宗彦さんご本人かな?松本留美さんのインタビューに『命がけでなんでもやりました。東京タワーまで登ったり、芦花公園のガスタンクまで登りました。』と有りますので)する場面も有りました。
殆ど全編を通して出演している「ブラックデビル」(高田宗彦さん扮する「ジェームス」「荷蛭妖造」も含めて)なのに、その姿は霧のかかったシルエットの如く、名前も全く覚えてないと言う私の頭の構造はいったいどうなっているのか(・・って、これは良く人に言われる事でした、自分でも言っていれば世話無いカ^^;)自分の事ながら不思議に思います。
最近、CATVで観る昔のテレビドラマ、映画などで「ブラックデビル」「頓田紋太」「レッドベア」を見掛ける事が有ります。
でもそれは、あまり目立たない見過ごしてしまうような役が殆どでしたが、「少年ジェット」以後も皆さん元気に役者を続けておられるお姿を見つけた時は嬉しくなりました。

「少年ジェット」の本名は「北村 健(けん)」、「タケちゃんマン」のビートたけしさんの本名は「北野 健(たけし)」だったかな?何となく似ていますね、「少年ジェット」のパロディだったのかナ?。
放映当時殆ど見ていませんのでどのような内容か全くわかりませんが・・・


少年ジェット ぽせいどん 10/14

ブラックデビルはアルセーヌルパンをイメージしたキャラクターだと思います。
姿はヲアニーさんの言うとおりだったと思います。
明石家さんまのブラックデビルはJETを知っている私にはどうしてもなじめなかった。
ステッキは頭上にかかげると先端から稲妻が走りました。
背面ジャンプはfilmの逆回し、当時のお約束ですね。


少年ジェット ヲアニー 10/13

ヲユキの書き込みを見て、「創」11月号の発売を知った。まだ10月だというのに、もう発売されたのか。
買おうかとも思ったが、ヲユキが持っているので、後日見せてもらうことにしようか。

私は、ジェームスは実は記憶にないのだが、ブラックデビルは覚えている。黒いマント(モノクロだったから色はそのように見えた)に帽子をかぶり、たしか片方だけ色眼鏡をかけていただろうか・・・しかし、これは自信がない。
更にステッキを持ち、そのステッキを前に差し出すと煙が出て消え去る。また稲妻が光ったりしたような記憶もある。
それから、ヲユキが書いているように、背面の高所に前を向いたまま飛び上がったりしていたように思うが、違うだろうか?。
こういうシーンは、もしかしたら隠密剣士の忍者の動きと勘違いしているかもしれない。
「頓田紋太」の顔は今でも鮮明に覚えているが、蝶ネクタイを引っ張ってまた元に戻すシーンがあったが、あれを見て大笑いした。


ショコラ・オランジュ SDTM 10/11

☆ 記事はここです。↓

http://blog.goo.ne.jp/sdtm/e/b5831ec7a537762e72dafac52bb9622d


紅サソリ ぽせいどん 10/11

私が見たシーンは羽の生えた大サソリ(作り物)とザリガニでしたね。
あのころサソリを扱うペットショップなんて無かったのでは?
容易に手に入る環境ではありませんでしたよね。


訂正致します ヲユキ 10/11

情報は思いこみで伝えてはいけませんね、正確でなければ・・・

「紅さそり」で高田宗彦さんが自宅に本物のサソリを持ち帰って研究されていた・・と言うように記しましたが、本文には〃本物〃とは記されていませんでした。
松本留美さんのコメントに「サソリを家に持って帰ってきて、何かやってました」と言う言葉があり、それを読んで「すごい!本物のサソリを研究して命がけで役作りをされていたんなんて・・」と言う即座に思った私の思いこみに基づくものでした。
おそらく、撮影で使う小道具のサソリの事だったのでしょうね・・それとも何時かぽせいどんさんがおっしゃっていたザ○○ニ・・?・・って、またまた思いこみによる発言をお許しください。


今日は・・・ ヲユキ 10/11

仕事が早く終わりいつも行く帰り道にある書店に寄りました。
8月31日、ムサシ様よりご紹介のあった「創」11月号を購入致しました。
6ページに渡って、昭和34年から放映された「少年ジェット」で「ブラックデビル」を演じられた俳優高田宗彦さんについて、本橋信宏氏(昭和31年生れだそうです)がその一人娘で女優の松本留美さんへのインタビューをされた記事です。
でも同世代で有りながら私の子どもの頃に見た「少年ジェット」の記憶に「ブラックデビル」の名前も姿も有りません。
ビデオを見ているときに間違いなく覚えている場面と思えるシーンが有りますが、それは決まって「ブラックデビル」あるいは「ジェームス」も一緒にいる場面なんですよね・・・記憶にある太った怪人は「鉄人騎士」、剣と盾を持った鎧を纏った怪人は「レッドベア」で初登場の時にデビルと戦いデビルがジャンプして石垣の上に飛び乗る場面など確かに覚えているのですが・・・

私が子どもの頃に見た番組を改めてビデオなどで見直した時に、その役者さんがオーバーアクションを交え滑稽な程にその役柄になりきって演じられているのを良く感じました。
これも記事を読んでわかった様な気が致します。
当時は映画全盛の時代でテレビは低く見られていて、それまで大部屋俳優だった高田宗彦さんはワンランク下のテレビドラマで子ども向けの番組だったのですが、与えられた準主役級のその役を一生懸命に演じられた様です。
松本留美さんの思いでとして、街を歩いていて「ブラックデビル」だと子どもたちに言われる(何かの本で読んだと思いますが、銭湯で子どもたちに「ブラックデビル」だと言われお湯をかけられたとも聞きます)と喜んでおられたようですし、役作りのため「紅さそり」の時の「荷蛭妖造」を演じたときは本物のサソリを家に持ち帰って研究されていたようです。
「少年ジェット」は、当時の大映大部屋俳優が涙ぐましいほどに台本に忠実に演じられていたとも記されています。
そのことを考えますと「頓田紋太」の本当に頭がわるい人と思える程の滑稽さ、「レッドベア」の不貞不貞しさ、配下の普通に考えれば恥ずかしくなる様なコスチューム・・・全て皆さん与えられた役を一生懸命演じられていたんだなア・・と、認識を新たにしたような次第です。


あの素晴らしい愛をもう一度 ぽせいどん 10/8

どうみても失恋の歌ですからねー。
結婚式にふさわしいとは思えません。

「腹癒せに作って...」なら分からないでもありませんが
作ったとしても本当に結婚式で歌ったかどうかは眉唾ですね。
曲は加藤氏ですしね。


あの素晴らしい愛をもう一度 CARAMELPAPA 10/7

この曲、世間じゃ、
加藤和彦氏とミカさんの結婚に対し、
サム氏が贈った事が有名ですが、
そう言う話もあるのですね。

「パッチギ!」の影響で、
「ハレンチ」を借りてきて、
「イムジン河」歌ったりして、
昔のように、フォークルに浸ったたりしてます。

お馴染みの、
五木さんの「青年は荒野をめざす」、
寺山さんの「戦争は知らない」、
サトウさんの「悲しくてやりきれない」、
挙げ句、
アルバムの忘れかけた曲もエトセトラ。

そらから、サム氏作詞の、
シューベルツの「風」、「さすらい人の子守唄」、
ジローズの「戦争知らない子供たち」、
クライマックスの「花嫁」、
ベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」、
トワ・エ・モアの「初恋に人に似ている」、
高木麻早さんの「思い出が多すぎて」、
堺正章氏の「さらば恋人」、
そして、
加藤和彦・北山修の「あの素晴らしい愛をもう一度」、
なんとなく、なんとなく。

繰り返し、繰り返し、
ひとり悦に入ってます。


ゲッターライガー ぽせいどん 10/6 12:07

しばらく間が空きましたが
モデリング再開いたしました。


3人のインデアン人形は ぽせいどん 10/4

なんとなく記憶にあります。

フランダースには日本人観光客がかなりの数訪れるそうです。
現地ではその理由がしばらく判らなかったそうです。
物語は日本での方が有名らしいです。


想い出の断片集として。  懐古人 10/2

1.映画「フランダースの犬」
 アップした上段は、昭和36年10月に上映した20世紀フォックスの「フランダースの犬」です。
 最近、このタイトルは、80年代のアニメの象徴のように取り上げられてますが、私は、そのアニメより、映画のフランダースの犬が、とても印象に残っています。
 私の場合、映画には行ってませんが、その3〜4年ほど?後に、テレビ放映した日本語吹き替えのものを観ました。
 名優アラン・ラッドの息子の デビッド・ラッド が主演とあります。 犬の名前はスパイクとあるが、どうだったか?
 監督:ジェームス.B.クラーク  (カラー映画)
 出演: ドナルド・クリスプ、 シオドア・ピケル 他  
 ベニス国際児童映画祭グランプリ受賞
 かすかに憶えてるシーンですが、雪のなか凍えて道をあるく少年が、少女から声をかけられ、大丈夫、ボクはこれから行くところがあるんだ(と言ったような?)と、心配する少女や街の人々を背に、教会へ向かい、名画の前で犬とともに天へ召されるシーンは、目を熱くするような悲しいものでした。その少年が画家になろうとした少年だったので、たぶん自分と重ねわせた気分になったのでしょう。 その頃から、イタズラ好きの悪ガキの自分に、何か今までになかった強い哀愁が芽生え、何度か、そのシーンを模倣するような夢さえ見ましたよ(笑)。
 今まで再放送されたか、ビデオにあるかは分かりませんが、40年程を経て、もう一度、当時の日本語吹き替えのテレビ版(モノクロだった)が観たいものです。

2、CMネタ 「三ツ矢サイダー」(昭和37〜40年?) と ロッテのチョコ「エンペラー」(昭和46〜48年?)
 
 下段の左にアップしたものは、当時の三ツ矢サイダーのCMに出演していた、3人のインデアン人形です。
 この頃のCMソングは、♪ ・・ いつもニコニコ飲んでる、三ツ矢サイダー、シュワ〜〜。というちょっとスローでハッキリしたCMソングでした。当時のテレビシーンは、このようなインデアンボーイ3人が
サボテンか岩をよじ登り、矢を放つと、サイダーのビンに当たり、三ツ矢マークになるようなシーンでした。  
 下段の右にアップしたものは、半年前?でしたか、某激安ショップで販売していたロッテのエンペラーチョコです。(未開封のまま記念に保存してます)本当に懐かしさがこみ上げて、店の人に聞きましたら何故か店頭に置いてしまったもののようです。 それで、ロッテに問い合わせましたら、今はパチンコ専門の商品となっていると聞いてガッカリした具合です(笑)。 昔の箱は全体的に赤かったような記憶があります。 当時のCMのシーンは、中世の城から鎧姿の騎士が2人ほど出てきて、エンペラー!と声が出るとともに、あのベートーベンの「皇帝」第一楽章の、くだり落ちるピアノ部分が鳴り響くような内容のものでした。  

3.受検という偏向的現象と珍現象 (ちょっとお堅く話します)
 ご多分にもれず、大学受験に暗い青春を送ったりましたが、勉強がパズルのように思えてなりませんでした。 ただ憶える作業で、家庭教師にぶちまけたことがあります。 
 ▼ 旺文社の原の英文読解という難解な問題集
 反戦的なエッセイが幾多かあったのが印象的でした。リンドなどの社会批判的な人たちの難しいとうか古めかしい英語に直面させられました。反戦的エッセイの中に、競い合うスポーツ自体が、それは人と人との醜い争いであり、戦争の助長となるというような面白いものもありました。これは極論ですね。逆に、スポーツが人の闘争本能を吸収させ戦争の回避に役立つというようなエッセイもありました。 なにか反戦ムードを反映する雰囲気があり、その点にかぎり納得いく教材でもありました。
 ▼ 難解な古めかしい英語教育の珍現象
 ところが、やはり当時の英語教育は、受検勉強という受験生を落とす学習偏重だっため、その古めかしい難しい表現ばかりを引き合いに、学生を悩ませていました。 学校の先生すら分からない英文を出してきて、どうしたら英語を理詰めで分かるのか??と思いきや、その当時、添削業界(オリオンだったか?)で「因数分解に基づく英語構文分析???」(正確な題名失念)という数学の因数分解的発想で、難解な英文の構文を分解して、理解に役立てるという参考書さえ出現しました。もともと、英語は日本語より合理的で理路整然としたものですから、文法をもって、文語体の英語の解読に当たろうという学習システムになったのだと思います。また、英語を正しい発音で現地人のように話す教師は少なかったのも要因の1つです。 言語は決して機械を組み立てるものでなく、情と雰囲気からながれるもので、すべてが文法で処理できるものではありませんから、「そんな曖昧なもの、教えるなあ!」と、よく思ったものです。とにかく、高校では覚えることが沢山あって、嫌になるぐらいでしたから。
 そんなわけで、僕らは不満ばかり抱え受検勉強の理不尽な面を見つめるだけでした。母国語の人さえ、受検の英語は理解できない変な英語だと非難されてもいました。口語英語ではなく文語英語偏重の間違った教育への道は、ひとえに、受験勉強とうものにさいなまれていたのです。
 ▼ 大学に入り、真っ先に直面したのは学生運動のなか、学生達がいつも口にしていたのは、中教審(中央教育審議会)という言葉でした。 教育の悪さは、当時の学生達も感じており、矛先は、その中教審にむけられ、教育に国は何をもくろんでいるかを、常に警戒してたのです。特に、軍国化への土台として。 現在の大学生に、そんな風潮があるか分かりませんが、多くの学生は国に対し警戒感を抱いていたの事実です。 その後ろ盾に、その頃、政府へのブレーキ役としての働きがあった日教組の存在もありました。 野党的存在が多いことは、政治のバランスにおいて本当に大切であり、これは、今でも最重要な事だと思っています。
 私として、受検勉強は、決してあるべき教育と思ってません。 それは、学習の偏重を生みだし、本来学習し知るべきものさえ隠してしまうことが多々あります。 「そんなこと試験にでないから」という偏重です。 それは大人へと続く思考や社会観察力の欠陥となります。受験産業という本の教育にあるべきものかどうかという現象も生みだし、文部科学省は、そのままにしています。この点、私として1つ指摘しておきます。 それは歴史と政治の学習です。今現在の学校はどうしているかわかりませんが、私たちの時代、歴史は、古い順から現代まで学びますが、時間の関係で、現代史までいかずに終わります。 50から30年前は、現代史のもっとも重要な中核にあるのに、その真実を、現在の学生が、どれだけ学ぶのか、私には疑問です。 やはり、古代史と現代史はわけて教育するべきと私は思います。 戦後、日本はGHQに民主主義を確立させてもらい、平和の道をあゆみ、どこの国とも戦争をしていない理想郷となりました。 しかし、その純粋な民主主義と戦争放棄は、何度か揺らぎそうになったこともあり、その都度、市民や学生が、
警告を発して、今の日本を守ってきました。 それを揺るがそうとしていたものは何か?と今の若い人や学生に問いかけると、ほぼ知らない
と言うでしょう。 また、政治において、政党の変遷や、各政党の悪い面と良い面、という点も、果たして厳密に、学校教育は教えてきただろうか? そのことを教えないかぎり、選挙へむかっても、国民は、雰囲気だけで判断し、何も考えずに投票する矛盾な状況を作るのはおかしくないと思います。もっとも、そんな教育をすると、どこかの政党がいちゃもんをつけるでしょうが。 ある政党は、市民や国民という言葉でも拒否反応を示したり、ずっと以前、その政党の議員が、某深夜番組で、「われわれは、お前達の親みたいなもんだから、口出しはするな」と平然と高ぶった態度をしめしたのが、私には、絶対忘れることのできない記憶です。 天文学的数値の借金を負わせ天下りをそのままにした長年の無責任さをよそに、これから独裁体制で何をやるのか、不気味さを感じますし、その裏にいる某国に私は大変な危機感を感じています。 過去の日本、現在の日本を析尽くした国だからです。
 これは、15−6年前か?、NHK様が、米国が戦時中に徹底的に日本を分析した様子を詳細に説明した番組を報じたことに大変共感し、色々な実態が分かったからです。 素晴らしかったですよ。

ところで、日本テレビの「生命遺産−生命のチカラ」は、大変感動しました。
 最後の「あの素晴らしい愛をもう一度」を聞いて、あの詩と青春に感じた大切なことが、色々目に浮かびました。 このフォークは、当時友人から聞いたのですが、北山氏が好きだった女の子の結婚式に招かれることになり、無念な気持ちを乗せて腹癒せに作って、その結婚式で歌った曲だと聞いています。本当かどうか分かりませんが... 多くの人は、この曲で好きな点が、斬新なパーカッションのリズムでカッコイイとのことでしたが、私は、バックのバイオリンの切ない旋律が懐かしくも甘酸っぱい響きに聞こえ、曲と歌詞が渾然一体となって、青春の息と申しましょうか、それが胸にふりかかるような、鮮烈なものでした。ちょうどベートーベンっぼい編曲ですね。

 私の日々は、おそらく皆さんと違って色々な生活面を抱えているため忙しいのが現実です。ですから、ログを見ない非礼さがありますが、月1,2度ぐらいの書き込みで感謝を表したいのが、今、私の出来ることです。 今は御理解をお願い致します。 

それでは、来月に出来れば来たいと思います。


記念樹 ヲアニー 10/2

ぽせいどんさん
あははは。確かにそうですね。「臭う」では前後の関係から、この字はなじまないですね。ワープロも賢くなって、四文字熟語は正しい文字に変換してくれますが、同音異義語は字が違うと意味が違ってきますからね。失礼しました。

記念樹は兄弟でよく見ていたし、よく歌ったから、歌詞もそのように覚えていただろうと思います。
しかし、幾ら思い出しても「あいつと こいつ おまえも おれも…」という歌詞だったように思うのだが。
「うれしきゃ泣いて 悲しきゃ笑うんだ…」は、確かにそういう歌詞があったのを思い出した。
「記念樹」に限らず他の歌でも、2番以降の台詞がテレコになるのはしばしば。例えば、「青い山脈」も2番〜4番の歌詞は、カラオケでもテロップを見ないと歌えない。

記念樹は、児童施設に入所している子どもたちが主人公のドラマだったと思いますが、同じようなドラマでは「鐘の鳴る丘」がありました。私は聞いていませんが、施設で入所している戦争孤児の物語で、戦後NHKで放送されたようです。
♪か〜ねが鳴ります キンコンカ〜ン…の歌詞を祖母が歌っているのを聞いて、この歌も覚えました。この歌を歌うと、やはり熱いものがこみ上げてきますね。


ぽせいどん 10/2

昨日セブンイレブンに行ったら
ヤマト、もうありませんでした。

5番まで憶えていないが...
やさしく開くが正しいらしいですが
やさしく臭うは...まずありえない。
作詞するなら、やっぱり「香る・匂う」でしょう。

実は私の記憶でもヲアニーさんと全く同じ...
ヲユキさんの記憶がヲアニーさんのそれをトレースしたものでは?
兄弟がいるとしばしばそういうことがおこります。


記念樹 ヲユキ 10/1

ヲアニーさん

やはりヲアニーさんもこの歌を覚えていたんですね。
ヲアニーさんの歌詞はすべて正解です・・と、言いたいところですが、やはり微妙に異なっています。
♪桜の苗が 大きく育つころ 僕らはみんな 大人になるんだ・・1番は正解です。
♪みんなで植えた 桜に春が来て 今年も花が やさしく開く・・5番も正解です。
♪日照りが続きゃ どうしているだろうと おまえのことが 気にかかる・・2番?です・・が、歌詞カードには、♪日照りのときも 冷たい雪の日も 負けたら駄目だぜ 僕らの夢は・・となっています。
実は私の記憶でもヲアニーさんと全く同じ♪日照りが続きゃ どうしているだろうと おまえのことが 気にかかる・・なのですが、この歌詞カードには記されていません。
このCDが殆どの曲の著作権を所有するコロムビアのもので無いために微妙に歌詞が変更されたとも思えなくもありませんが、解説には歌の収録には木下忠司氏自身も立ち会われたと記されていますので、それも無いと思います。
とすれば「記念樹」の歌詞は6番まで有った・・と言うことなのでしょうか?
CDにアンケート葉書が付属していますのでメーカーに問い合わせてみましょうか・・って、そのような度胸?の無いヲユキ(^_^;)
調べる手だてとしては他に、
1 最近CSで「記念樹」(「木下恵介アワー」の全作品、現在も放映中・・の筈?)が放映されたようですが(残念ながら私の地域のCATVでは視聴出来なかったのですが)、私の地域の視聴可能なチャンネルで放映されるのを気長に待つ。
2 私が中学生の頃に見た愛唱歌集?(「記念樹」他、多数のテレビ主題歌が収録されていましたが、当時の私にはとても購入出来る金額では有りませんでした)を古本屋さんで探す(実際、今でも古本屋さんに行くときはその本のことも常に頭の片隅に有ったりします)。
・・・などと、いつ終わるともしれない全く気の長い方法を実行するしかなさそうです。
オリジナルで無いとは言え、およそ40年ぶりに歌を聴くことが出来ましたし、希望を持ち続ければいつか実現する日も・・・

あと3番の♪嬉しきゃ泣いて 悲しきゃ笑うんだ 仲間がみんな 見てるじゃないか・・がありますよ。
私はこの歌詞も覚えていましたが・・ヲアニーさんも今頃きっと思い出されているでしょうね。

私の記憶を更に付け加えれば、テレビでの主題歌、エンディングでは1番と2番、1番と3番・・・と言うように、毎回ちがう組み合わせで流れたと覚えています。
タイトルバックは絵(花とか魚・・だったような?)だったと思います。
このことは以前言ったことが有るのかな?・・最近特に記憶力が衰えて・・


追伸 ヲアニー 10/1

記念樹の歌詞の3番目は、「やさしく臭う」は「やさしく開く」だったかもしれない。


「記念樹」の歌詞 ヲアニー 10/1

去年もこの曲は話題に出たが、5番まで歌詞があったのか!!
もしかしたら5番まで覚えていたかもしれないが、忘れてしまった。40年前の記憶をたどって、ようやく次の歌詞を思い出した。
♪桜の苗が 大きく育つころ 僕らはみんな 大人になるんだ…
♪日照りが続きゃ どうしているだろうと おまえのことが 気にかかる…
♪みんなで植えた 桜に春が来て 今年も花が やさしく臭う…
ヲユキが言うとおり、「あいつとこいつ」という歌詞だったと記憶している。時代とともに禁句になっている言葉もあるので、もしかしたら歌詞も改められたかもしれない。