2006年9月分の書き込み

No.2398 死んでも生きられる... ぽせいどん 9/28 22:25

そう言ってましたからねー。
他にもエピソードがいろいろありますね。
私が好きなのは高速道路でシロバイに捕まったとき
「Gメンだ」と言ったことですね。
・・・ネタかもしれませんが。


No.2397 俳優・丹波哲郎さんご逝去 ヲアニー 9/28 00:14

丹波哲郎さんがお亡くなりになりました。
↓記事はこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/woani-/e/7837355dc4ab06f1d5fb5e891b2dacaf


No.2396 ないたあかおに ヲユキ 9/14 22:56

サムソンさん、問いに対するレスが遅くなりすみませんでした。
ぽせいどんさんが簡潔に判りやすく記されている通りです。
青鬼は村人にこの先二人で仲良くしている姿を見られるとどのような不信感をもたれるとも知れない事を心配して一人で旅立ちます。
赤鬼が青鬼を心配して家を訪ねたとき家の扉は閉められて赤鬼宛の手紙がはって有りました。
それは何処までも赤鬼の幸せを願い友情を貫く青鬼の言葉でした。
この青鬼の手紙は何度読んでも胸にジ〜ンと来ます。
私が子どもの頃に読んで何故最も重要な結末部分を忘れてしまったのか、自分の事ながら理解に苦しみますが(^_^;)、それでもストーリーの概略を憶えていたと言うことは、おそらく子ども心にもいたく感動したと言うことでしょうね。


No.2395 青鬼は ぽせいどん 9/14 20:08

赤鬼が村人と仲良くなると
姿を隠してしまうのですね。
分かりやすく言えば「ヤラセ」がばれないように
気遣ったのです。


No.2394 おぉ・・・ ヲアニー 9/14 06:57

サムソンさん
そうでした、早野凡平でしたね。一瞬にして何でもつくってしまう手さばきは見事でした。
玉川カルテットでしたか。トリオでなく4人ですね。思い出しました。
Wけんじも懐かしい。黒縁眼鏡のフレームに指を通してませんでしたか。あれはレンズが入ってなかったのですね。


No.2393 サムソン 9/12 23:14

ヲユキさん、
泣いた赤鬼、私も細かいところはもう覚えておりませんが赤鬼は青鬼の言葉に泣いたのでしたか?

ヲアニーさん、
一行コメントでは分りにくかったと思いますが正解ばかりです。
1.早野凡平
2.東京ぼん太
3.ケーシー高峰(お客さんとのやりとりもうまいですね)
4.玉川カルテット (最近見ましたよ)
5.ナンセンストリオ
6.桜井長一郎
7.ゼンジー北京
8.Wけんじ(もう一度聞きたかったです)

お笑い花月劇場はこちらでも放送がありました。木村進さんや間寛平さんなどよく覚えております。


No.2392 ドリームフォース01 ヲユキ 9/11 21:39

一週間前に実家に帰りました折りに、いつものようにトカゲ君たちと一緒に撮ろうと準備したロボットです。
でも、この日は一匹も姿を確認出来ず「ドリームフォース01」単独での写真となりました(^^;)。
まだ、購入してから一度も作動させたことはなく、肩、胸などのプロテクターのパッケージも開いていませんのでこの写真の「ドリームフォース01」には装着して無く不完全な姿ですが、それらを装着すればもっと格好いい姿になる筈です。
最近発売されるようになったPCでプログラムを組み作動させる完全2足歩行ロボットとは違いますが、機能的にはそれ以上の遊び方も出来るラジコンロボットの様です。


No.2391 ご無沙汰でした ヲアニー 9/10 21:09

ブログUPに手を取られ、こちらへはとんとご無沙汰しておりました。
気がついてみたら、36万HIT達成してますね。すごい訪問者ですね。
このペースだと、来年の桜の咲くころに40万HIT達成でしょうか。
サムソンさんの書き込みを見て、ついつい私もつられて久しぶりにお邪魔します。

私もサムソンさんに同感ですね。
「いとし・こいし」「てんや・わんや」「ダイマル・ラケット」等々、落ち着いて安心して聞けましたね。今は、時代の影響もあるのか、テンポが速くてすぐ理解できない。
サムソンさんが書かれたことについて、
1は、ウ〜〜ム、顔は覚えているのだが、名前が思い出せない。のどの奥まで出かかっているのですが・・・
2は、東京ぼん太?
3は、ケーシー高峰ですね。私の好きな漫談家の一人です。
4は、ウ〜〜ム、これもすぐ名前が出ない。三味線片手に浪曲を歌ったトリオ?今でも現役でしょうか。
5は、ナンセンストリオでしたっけ?
6は、そうそう、私も長谷川一夫や春日一幸の物まねをする桜井長一郎の物まねをして、同級生を楽しませました。あと、ドン・ガバチョの藤村有弘の真似も得意でしたね〜〜。
7は、ゼンジー北京かな?
8は、???ウ〜〜ム、わからない。

落語は、桂米朝がいいですね。落ち着いて聞ける。
あと、柳亭痴楽が好きでしたねぇ。「柳亭痴楽はいい男。鶴田浩二や錦之助、それよりウ〜〜ンといい男。てなてなことを一度でも・・・」。これもよく物まねをしました^^
中学、高校時代に「お笑い花月劇場」が土曜日の午後からありました。中間、期末テストが近づくと部活も中止され午後から帰ったが、勉強はせずにこれをよく見ていました。
花木京が好きでしたね。最近亡くなられた岡八郎との掛け合いは絶妙でした。


No.2390 ないたあかおに ヲユキ 9/10 20:07

私も懐かしく思い出される絵本です。
数年前に他のサイトでこの物語について書き込みをさせて頂いた時に、結末についての私の記憶記憶違いを訂正して頂いたことが有りました。
私がこの物語を初めて読んだのは、小学生低学年(1〜2年?)の頃だったと思います。
近所(隣)の同級生の女の子が定期購読していた「小学○年生」に読み切りで掲載されていた絵本形式の物語ででした(確かその頃掲載されていた連載作品で良く読んだ覚えがあるのは「コロッケライオン?(ばばのぼる?)」「すすめ!ロボケット(藤子不二雄)」なども有りました)。
私の記憶では・・・
村人から恐れられていた赤鬼が、本当は心優しくみんなと仲良くしたいといつも思っていました。
それを知った青鬼が、自分が村で暴れ回るからそのとき赤鬼が駆けつけて自分を追い払えば村人たちは赤鬼を信用して仲良くしてくれるだろうと提案しました。
二人はその通り実行して村人たちは赤鬼を信用し、以後赤鬼は村人たちと仲良くできて嬉しくて泣いてしまいました。
・・・と、言うようなストーリーでした。
記憶違いを指摘されてから是非もう一度読みたいと思い、以後たびたび児童書コーナー、絵本コーナーなど見て回り、絵本2種、児童書一冊、最近では文庫本にも掲載されたものを見かけました。
私は最初に見つけた絵本を購入して読みました。
最後まで読んで何時しか胸が熱くなりました。
これは青鬼の赤鬼に対しての自己を犠牲にした友情物語だったのですね。

「ないたあかおに」については以前こちらでも投稿させて頂いた事が有ったような気も致しますが、もし重複している部分が有りましたらお許し下さい。


No.2389 サムソン 9/10 16:40

ちょっと付け加え・・役者さんの財津さんから寄席まで話が続いてしまいましたが、財津さん→てなもんや→お笑い→寄席の連想でした。・・・てんやわんやさんも面白かったですね。


No.2388 TVでは サムソン 9/10 14:01

平成の芸人とも言える方たちが連日多くの番組に出演されています。中には面白いお笑いの方もいますし、楽しいトークもあったりします。でもやっぱり昔のお笑いが面白かったですね。

昭和の芸人(今も活躍されてると思いますが)財津一郎さんを思い出したら、当時見ていたお笑いの人たちが何人も浮かんできました。大正テレビ寄席とか日曜演芸会などもよく見ていました。

寄席に出演されていた方々をちょっと思いつくまま羅列しますと
1.「ほんじゃまかほえ〜 」 「ナポレオンの帽子」なんて言ってました。
2.「夢もチボーもないよ」が口癖でした。
3.「グラッチェ・グラッチェ・セニョリータ」この人はつい最近も「笑点」に出て笑わせてました。
4.「金もいらなきゃ女もいらぬ、わたしゃ・・」と毎回歌ってましたがお客さんも毎回ここで笑ってました。
5.「親亀のせなかに子亀をのせて〜」で始まり舌を噛みそうな早口が続きました。
6. この人は長谷川一夫さんや春日一幸さんのものまねが得意でした。ものまねと言えば、改名されましたが若人あきらさんにはいつも感心したものでした。
7.「これタネも仕掛けも無いアルネ」と変な口調に中国服。この方は最近見かけなくなりましたがマギー司郎さんとはまた違ったおかしさがありました。
8.「な、お〜!」とか「やんな!」はよくまねしたものでした。

それから落語もいいですね。じっくりと聞いて面白さも別格です。
まだまだ沢山浮かびますし、千夜一夜さん、いとしこいしさんの
漫才なども忘れられません。今見てもきっと面白いだろうなと思います。
白黒テレビを見ていた頃、その中でも記憶の最初にあるのは多分「中田ダイマル・ラケット」さんかも知れません。

ところで最近、童話の「泣いた赤鬼」(作 浜田廣介)が話題になったことがありました。いつ読んだ(聞いた?)か紙芝居なのか教科書だったのか、でもそれ程昔ではないかも知れません・・ついに思い出せませんでした。